外部パートナーに依存していたIT施策の主導権を取り戻し、ビジネス部門と協力しながら課題解決と事業成長を目指す──。IT戦略をリードする久本英司氏のもと、こうした取り組みに着手し、内製化を進めているのが星野リゾートです。
本記事では、AnityAが2022年7月28日に開催したイベント「その内製化は何のため?星野リゾート 久本氏に聞く、内製化を検討する前に欠かせない重要な視点」の模様を動画でご紹介します。
前編、中編に続く後編では、イベント参加者のみなさまから寄せられた質問に、星野リゾートのIT戦略をリードする久本英司氏と、AnityA(アニティア)代表取締役社長の中野仁がお答えする模様を動画でご紹介します。
Q1. 大型プロジェクトの意思決定プロセスは?稟議書は回さない
質問: このような大型プロジェクトの意思決定は、担当部署が取締役会に付議するのでしょうか? それとも特定の役員を含めたワーキンググループ等を立ち上げて決定するのでしょうか。
久本氏: 星野リゾートでは、「システム投資判断会議」という会議体が毎月2時間設けられています。ここには情報システムの責任者だけでなく、代表の星野に加え、運営、経営企画、マーケティングなど、現場の責任者全員が参加しています。
システム投資に関しては、その場で議題として出し、ディスカッションして、その場で決めています。 いわゆる「稟議書」が下から上へ何段階も回っていくようなプロセスは一切ありません。最初から決裁者を含む関係者全員がその場にいて、ホワイトボードなどを使いながら議論し、合意形成を行います。
むしろ、この場に出さずに予算を使ってこっそり進めた案件が見つかると、金額の大小に関わらず「プロセスを経ていない」として非常に怒られます。逆に言えば、この場で「なぜやるのか(Why)」の議論を尽くし、全員が腹落ちすれば、その後の実行は非常にスピーディーです。
Q2. 「費用対効果」の検証やカスタマイズの境界線はどう決める?
質問: IT戦略でよく議論になるのが、「費用対効果の検証方法」と「パッケージのカスタマイズ境界線」です。これらについて基準を設けていますか?
久本氏: 結論から言うと、「費用対効果」や「予算の枠」といった議論は、最近ほとんどテーブルに乗らなくなりました。
私たちが基幹システムを内製化した際は、「私たちが作りたい世界に対して、今のシステムは十分か?」というWhy(なぜやるのか)の部分を全員が理解することを出発点にしました。これには1年ほどの時間をかけましたが、一度理解できれば「一気にGO」となります。
また、星野リゾートでは「ITに対して年間いくらかけられるか」という総額のキャップ(上限)を経営判断として最初に決めています。現在はほとんどが内部人材のリソースコスト(固定費)になっているため、個別のプロジェクトごとに「この機能を入れたら何人減らせるか」といった細かいROI(投資対効果)を計算することにはあまり意味がないと考えています。
中野氏: コスト削減型の投資なら計算しやすいですが、売上向上や価値創出の案件では、事前の皮算用通りの数字が出ることはまずありません。 久本さんがおっしゃるように、「見込み」をベースに優先順位の判断だけ行い、結果が出なかった場合は「なぜ市場に受け入れられなかったのか」を学習し、次に活かす。検証に時間をかけるより、経験としてのフィードバックを重視する姿勢が重要です。
Q3. ベンダーコントロールで苦労したことと打開策は?
質問: コンサルを含めたベンダーコントロールで苦労したこと、その打開策を教えてください。
久本氏: かつてアウトソース中心だった頃、実装チームが外部にあり、内部人材が中身を把握していない「ブラックボックス状態」でプロジェクトが進み、結果として不幸になるという経験をしました。
そこから得た教訓は、「どんなにパートナー数が多くても、内部人材が必ず中身まで入り込むこと」です。 また、「ベンダーコントロール」という言葉自体が、ある種の空虚さを表していると感じます。発注側と受注側で責任をなすりつけ合うような関係性(請負契約的な構造)は不健全であり、本当の意味での成功にはつながりません。
現在は、仕様変更に対して柔軟に動ける「準委任契約」を中心としています。もちろん、最初は内部人材にスキルがなくグリップできないこともありますが、失敗も含めて自分たちが責任を持つことでしか、組織としての学びや成長はありません。
Q4. 課題解決の優先順位はどのように決めた?
質問: 解決する課題を選定するうえでの優先順位等はどのように検討したのでしょうか。
久本氏: 自分の中で「こういう順番でやるべき」という優先順位は持っていましたが、実際にはその通りには進みませんでした。重要だったのは、「チャンスが来たら乗る」という感覚です。
あらかじめ「あるべき姿」への地図(ロードマップ)を持っておき、世の中の状況や社内のニーズといった「ビッグウェーブ」が来たタイミングで、パズルのピースを埋めるように実行していく。計画通りに進めることよりも、波が来た瞬間に乗り遅れないための嗅覚を磨いておくことの方が重要だと感じています。
Q5. IT課題を「経営的な視点」で言い換えるコツは?
質問: 課題を経営視点で伝える方法について、具体的なイメージを教えてください。
久本氏: 経営視点というよりは、「相手がイメージできる言葉に翻訳する」ことが重要です。
例えば以前、セキュリティ強化のために「インターネット分離」を導入し、リモートデスクトップを利用してもらう必要が出た際、技術的な仕組み(画面転送プロトコルなど)を説明しても全く伝わりませんでした。 そこで、「高い壁の向こうにあるパソコンの画面を、望遠鏡で覗いているようなものです」と例えたところ、一発で「なるほど、それならデータはこっちに来ないね」と理解してもらえました。
相手は技術の専門家ではありません。「望遠鏡」のような、相手の日常にある言葉や概念に置き換えて伝える工夫が必要です。これも一種の探索プロセスであり、試行錯誤しながら伝わる言葉を探しています。
Q6. 「ひとり情シス」からチームを拡大する際の留意点は?
質問: 久本さんご自身はいわゆる「ひとり情シス」からスタートされたと思いますが、メンバーを増やすにあたって留意したことはありますか。
久本氏: 組織作りで意識したのは、いきなり外部からIT専門家(外人部隊)を連れてくるのではなく、「社内の文化を理解している人材」をIT人材に育てることから始めた点です。
新しい職能集団がいきなり組織に入ると、既存の文化と摩擦(コンフリクト)を起こしがちです。私自身、入社当初は「何をしているか分からない人」として浮いてしまった経験があります。 そのため、まずは社内の業務や文化を深く理解しているスタッフをIT部門に異動してもらい、ITリテラシー教育を行うことで、現場とITをつなぐ「翻訳者」となってもらいました。そうして土壌を作ってから専門家を入れることで、組織として融合しやすくなりました。
Q7. 「内部人材化」と「社員のアップデート」の違いとは?
質問: 「内部人材化」と「社員のアップデート」の違いを詳しく教えてください。
久本氏: **「内部人材化」**とは、これまで社内になかった専門的な職能(プログラミングや高度なITスキルなど)を持つ集団を、アウトソースから内部に取り込み、企業としての新しい能力を獲得することです。
一方、「社員のアップデート(チェーンのアップデート)」とは、全社員がデジタルテクノロジーを活用できるスキルを身につけることを指します。これは、「読み・書き・そろばん・プログラミング」と言われるように、現代のビジネスパーソンにとっての基礎教養(リテラシー)を底上げするイメージです。
IT部門だけがITをやるのではなく、経理も運営も、全社員が自分たちの業務に関わるITを使いこなせる状態にする。将来的に「読み書きそろばんプログラミング」が当たり前の世代が出てきた時に、企業としての競争力を失わないために、今から全社員のアップデートを進めています。
まとめ
今回のQ&Aセッションでは、一般的な「教科書通りのIT戦略」とは一線を画す、星野リゾートならではの実践的なアプローチが数多く語られました。
- 稟議書ではなく、関係者全員が集まる場で即断即決する。
- 細かいROI計算よりも、目指す世界観への「合意」と「学習」を重視する。
- ベンダーに丸投げせず、内部人材が責任を持ってグリップする。
- 専門家を雇う前に、社内文化を知る人材をIT化して土壌を作る。
これらはすべて、形式的な管理よりも「実質的な価値」と「組織の納得感」を最優先にする同社の姿勢を象徴しています。内製化やDX推進に悩む企業にとって、多くのヒントが含まれていたのではないでしょうか。
IT組織づくりや人材育成についてさらに詳しく語られた本イベントの前編・中編の記事も、ぜひ併せてご覧ください。
動画インデックス
Q&A:IT戦略を考える際にすべきこととはーーそのプロセスに欠かせないポイントとは
Q1【00:00:22】
このような大型プロジェクトの意思決定は、担当部署が取締役会に付議するのでしょうか。それとも特定の役員を含めたワーキンググループ等を立ち上げて、その案を社内の会議体に付議していくのでしょうか。どのような意思決定プロセスだったのか教えてください。
Q2【00:04:02】
IT戦略でよく議論になるのが、(1)費用対効果の検証方法(2)パッケージをどこまでカスタマイズするのか、既存業務を変更して対応するのかの境界線についてどのように基準を設けるか、の2点です。この点についてアドバイスをいただけますか。
Q3【00:11:30】
コンサルを含めたベンダーコントロールで苦労したことと、その打開策を教えてください。
Q4【00:17:52】
解決する課題を選定するうえでの優先順位等はどのように検討したのでしょうか。
Q5【00:20:01】
課題を経営的な視点で言い換えることについて、もう少し具体的にイメージがわくような形で教えていただけますか。
Q6【00:24:06】
久本さんご自身は、いわゆる「ひとり情シス」に近い状態からスタートしたと思いますが、メンバーを増やしていくにあたって留意したことはありますか。
Q7【00:29:09】
「内部人材化」と「社員のアップデート」の違いをもう少し詳しく教えてください。
登壇者プロフィール

星野リゾート 情報システムグループ
グループディレクター
久本英司氏
軽井沢移住をきっかけに星野リゾートに入社。田舎の温泉旅館のひとり情シスでのんびりリゾートライフを送る予定が、海外4拠点を含む全国60拠点に急拡大。既存のホテル運営の枠にとらわれない戦略を実現するために独自のシステム構築の必要に迫られ、グループ全施設の予約システム、顧客システム、現地運営システム、管理系システム、インフラ、セキュリティ、IoTに至るまで自前化するための体制を模索し続ける。コロナ禍で大きな打撃を受けた観光業の現場で、55人のメンバーと共に生き残りをかけて奮闘中。

株式会社 AnityA(アニティア) 代表取締役
中野仁
国内・外資ベンダーのエンジニアを経て事業会社の情報システム部門へ転職。メーカー、Webサービス企業でシステム部門の立ち上げやシステム刷新に関わる。2015年から海外を含む基幹システムを刷新する「5並列プロジェクト」を率い、1年半でシステム基盤をシンプルに構築し直すプロジェクトを敢行した。2019年10月からラクスルに移籍。また、2018年にはITコンサル会社AnityAを立ち上げ、代表取締役としてシステム企画、導入についてのコンサルティングを中心に活動している。システムに限らない企業の本質的な変化を実現することが信条。

