外部パートナーに依存していたIT施策の主導権を取り戻し、ビジネス部門と協力しながら課題解決と事業成長を目指す──。IT戦略をリードする久本英司氏のもと、こうした取り組みに着手し、内製化を進めているのが星野リゾートです。
内製化が軌道に乗るまでにどのような紆余曲折があったのか、IT戦略がうまくいかなかった時にどうやって経営陣を説得し、軌道修正を図ったのか、IT戦略を推進する上で星野リゾートの組織文化がどのような形で後押ししたのか──。
本記事の動画では、星野リゾートの久本氏とAnityA 中野の対談を通じて、星野リゾートのこれまでのIT戦略を振り返るとともに、それぞれのフェーズにおける星野リゾートの取り組みの詳細を紹介します。
完成品ではなく「材料集めの過程」を見せる重要性
対談の冒頭、中野氏は久本氏のプレゼンテーションについて「なぜそうなったのかという『過程』がすごく丁寧に説明されている」と評価しました 。これに対し久本氏は、料理に例えてその意図を説明します。
「料理も、出来上がったものだけ出されても美味しいですが、どういう材料を集めて、どういう過程を経てそこに至ったのかを知るほうが重要です。プレゼンでも『成功しました』という結果だけでなく、失敗したところからどう立ち直ったのか、なぜその判断が必要だったのかという歴史的背景を含めて語ることが大切だと考えています」
「今のシステム」を理解するには「過去の失敗」の共有が必要
久本氏がチームメンバーに説明する際も、単に現状の仕様を伝えるのではなく、「かつて何が評価され、何が足かせになったのか」という歴史を3時間かけて説明していたものを、現在は40分程度に凝縮して伝えているといいます 。
「なぜ今こうなっているのかを理解するには、歴史的な環境や制約を知る必要があります。それを理解しないと、これからやるべきことも見えてこない。私のひとり情シス時代の失敗経験も含めて共有することで、コンテキストの理解を促しています」
経営陣が「技術」に目を向けるようになったきっかけ
かつて、星野リゾートの代表(星野佳路氏)にとって、ITシステム部門は直接的なレポートラインにありながらも、その中身については「よく知らない」領域でした 。 「マーケティングなどの機能については代表も詳しいですが、IT技術そのものについては詳しくない。以前は『うまいことやってよ』というスタンスで、私もプロジェクトの進捗だけを報告していました」と久本氏は振り返ります 。
システム障害がもたらした「怪我の功名」
転機となったのは、あるシステムトラブルでした。 担当者が一生懸命やっているにもかかわらず、遅延が発生したり、意図と違うものができたりする。そこで代表が「なぜだろう?」と疑問を持ち、自らITの中身に踏み込み始めたのです 。
- 以前のスタンス:「ITは専門家に任せる(中身はブラックボックス)」
- 変化後のスタンス:「意思決定をするためには、技術や業務プロセスを知らなければならない」
「代表が素直に『知らなきゃいけないね』と思って一歩ずつ近づいてくれた。技術そのものの説明ではなく、業務と技術の関係性を説明することで見通しが良くなり、結果的に『経営判断にITの知識が不可欠である』という認識が組織全体に広がっていきました」(久本氏)
「非IT」出身者が果たした重要な「翻訳」の役割
経営とITの距離が縮まる過程で、決定的な役割を果たしたのが「現場(オペレーション)出身のメンバー」たちでした 。
久本氏は当時、最新のテクノロジートレンドや抽象的な概念を一生懸命説明しようとしましたが、経営陣にはなかなか伝わりませんでした 。しかし、情報システム部門に異動してきた現場出身のスタッフたちは違いました 。
「彼ら・彼女らは、『代表が聞きたいのはこういうことだから、こういう風に説明したらいいんじゃないか』と、経営視点で理解しやすい言葉に翻訳してくれたのです。最初はアドバイスをもらうだけでしたが、途中からは完全にスポークスマンとして、彼らが前に出て説明するようになりました」(久本氏)
現場を知るからこそ、経営に刺さる言葉がわかる
中野氏もこの点に強く共感し、「ITの専門家ではないからこそ、わからない人の気持ちがわかり、コミュニケーションが成立する。これはIT部門に現場の人材を配置する大きなメリットの一つ」と指摘しました 。
意図して作った体制というよりは、探索の結果として「偶然つながった」ものでしたが、結果として「技術を経営の言葉に翻訳する機能」が組織内に実装されたのです 。
「3年計画」は不要? 星野リゾート流の戦略的柔軟性
対談の後半では、星野リゾートの「組織文化」と「戦略」の関係性に話が及びました 。 2015年頃、久本氏は一般的なIT戦略のセオリーに従い、「中期経営計画に合わせた3カ年のITロードマップ」を作成しようとしました 。しかし、それを現場の責任者たちに相談したところ、意外な反応が返ってきました 。
「うちはチャンス主義の会社だよね?」
現場の責任者の一人がこう言ったのです。
「星野リゾートって、チャンス主義だよね? リスクを考えて止めるのではなく、チャンスが来たら乗る。3年後に何をするか決めるよりも、いつチャンスが来ても対応できる『平坦部隊としての能力』を磨くべきじゃないの?」
この言葉に、その場にいた全員が「確かに!」と納得しました 。
- 固定的な計画:3年後に何をするか詳細に決める
- 能力の獲得:いつ変化が起きても対応できる「基礎能力」を高める
「これにより、IT戦略の方向性がガラッと変わりました。『何を作るか』ではなく、『どんな能力を組織に注ぎ込むか』にシフトしたのです。結果として、コロナ禍のような予測不能な事態や、デジタルディスラプションの波が来たときにも、柔軟に対応できる組織基盤ができていました」(久本氏)
イノベーションを阻害しない「セキュリティ」の考え方
最後に語られたのは、セキュリティと利便性のバランスについての「経営判断」のエピソードです 。 久本氏は当初、セキュリティリスクを考慮し、PC環境を厳格に管理(ガチガチに制限)する提案を行いました 。しかし、代表の星野氏からは厳しいフィードバックがありました 。
「制限だらけのPCで、高い報酬に見合う仕事ができるのか?」
代表はこう言いました。
「星野リゾートはイノベーションを通じて成長する会社だ。PC環境が制限されていることは、イノベーションを阻害する。USBメモリも使えないようなPCを全員に配って、それで本当に高い生産性が発揮できるのか?」
「データ漏洩のリスクはある」と反論する久本氏に対し、代表は「ならば、どんな道具を使ってもデータを守れる仕組みを考えるのが先決だ」と返しました 。
「これは『セキュリティリスクをどうするか』という各論ではなく、『企業活動全体をどうデザインするか』という上位の思想からの判断でした。私たちはイノベーションを最優先する。だから、BYOD(私物端末の利用)も含め、使いやすい道具を選べる環境を目指すべきだ、という強烈なメッセージでした」(久本氏)
まとめ:遠回りに見える「対話」と「思考」が強さを作る
今回の対談を通じて浮き彫りになったのは、星野リゾートの強さが、単なる「最新技術の導入」にあるのではなく、「組織文化に基づいた徹底的な議論」にあるという点です 。
- 失敗の歴史も含めたコンテキストの共有
- 現場と経営をつなぐ「翻訳者」の存在
- 固定的な計画よりも「変化対応能力」の重視
- イノベーションを最優先する原理原則の徹底
中野氏は最後に、「Why(なぜやるのか)や原理原則を議論するのは、一見すると面倒で非効率に見えます。しかし、そこを飛ばしてHow(どうやるか)に飛びつくと、結果的に間違ったものを作ってしまう。面倒くさがらずに『考える癖』をつけることこそが、最も重要だと感じました」と締めくくりました 。
変化の激しい時代において、星野リゾートの「迷ったら原理原則に立ち返る」「徹底的に議論する」という姿勢は、多くの企業にとって大きなヒントになるはずです 。
動画インデックス
・星野リゾート 久本氏×AnityA 中野仁の対談
IT戦略を考える際にすべきこととはーーそのプロセスに欠かせないポイントとは
【00:02:14】経営陣が技術に目を向けるようになった背景
【00:09:52】経営陣に「IT専門用語」を通訳したのは現場上がりのITスタッフ
【00:12:06】経営判断プロセスをつくるきっかけ
【00:22:40】久本氏を魅了した「星野リゾートの組織文化」とは
【00:30:00】星野リゾートの「3年後」を考えた時に見えてきたこと
【00:36:14】変化に柔軟なIT組織をつくるために
登壇者プロフィール

星野リゾート 情報システムグループ
グループディレクター
久本英司氏
軽井沢移住をきっかけに星野リゾートに入社。田舎の温泉旅館のひとり情シスでのんびりリゾートライフを送る予定が、海外4拠点を含む全国60拠点に急拡大。既存のホテル運営の枠にとらわれない戦略を実現するために独自のシステム構築の必要に迫られ、グループ全施設の予約システム、顧客システム、現地運営システム、管理系システム、インフラ、セキュリティ、IoTに至るまで自前化するための体制を模索し続ける。コロナ禍で大きな打撃を受けた観光業の現場で、55人のメンバーと共に生き残りをかけて奮闘中。

株式会社 AnityA(アニティア) 代表取締役
中野仁
国内・外資ベンダーのエンジニアを経て事業会社の情報システム部門へ転職。メーカー、Webサービス企業でシステム部門の立ち上げやシステム刷新に関わる。2015年から海外を含む基幹システムを刷新する「5並列プロジェクト」を率い、1年半でシステム基盤をシンプルに構築し直すプロジェクトを敢行した。2019年10月からラクスルに移籍。また、2018年にはITコンサル会社AnityAを立ち上げ、代表取締役としてシステム企画、導入についてのコンサルティングを中心に活動している。システムに限らない企業の本質的な変化を実現することが信条。

